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年明けてからもう数日たったという事実。

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「どうする?来年まであと○○日しかないよ??」
という会話を意味もなく投げるのが好きで、思い出したら定期的に人に話してしまう。
だから何だと言われてしまえばそれまでだが、私の周りは一緒に驚いてくれる人が多いので話しかけずにはいられなくなる。

ちょっとした前置きはこの辺で、

あけましておめでとうございます。
月1の緩やかな更新ではありますが本年もよろしくお願い致します。

年が変わったとはいえ、
未だに4月になってから今年が始まったなという感覚がある為、
今はまだ去年で4月への準備期間な気がしてます。

これがアメリカだった場合9月にそんな感情になるのかとも思いつつ、
でも文化圏の違いから違うことを思ったりするのかとも考える。

この話についてはWEBサイトQuiz Knochさんから記事が出ているので
理由が気になった方はURLからアクセスしてほしい。
『なぜアメリカの学校は9月スタートなのか』https://web.quizknock.com/why-september

そんな1月における行事(と分類しても良いものか)といえば初詣、

年明け初めに神社やお寺への参拝することで旧年の感謝や新年の祈りを伝える。

参拝が終わればおみくじを引いたり、
並ぶ屋台の食べ物にめを奪われたりと本来の目的がわからなくなる。

さて、これを見ている方は何をお願いしただろうか?

大抵は去年無事に過ごせた事への感謝なり、

今年にやることの報告、
受験生であれば志望校への合格等…

様々な願いがあるだろう。

しかし、願いを言うばかりで
それを成すための何かすることを約束しているだろうか?

これは昔、誰かに聞いた話で話の信憑性に欠けるかもしれないが、
自分の中では納得した話なのでそれを今回のネタとして話そうと思う。

願いを叶えるには代償がいる。

物語等でよく聞く文面は現代にも通じる事で、
欲しい物があればお金を使って手に入れる。

日常的過ぎて気づきにくいですが私達の生活はそういったものの積み重ねで、
参拝も相手が違うだけで一種の契約の形である。

願い事を言うだけで何もせず叶うのを待つだけは、
願う相手を人に置き換えても都合が良すぎて
叶わなくても仕方ないことだと思う。

また、曖昧な約束事(勉強しますので試験合格しますように)より、

なるべく具体性
(1日○分勉強しますので試験に合格しますように)を持った方が
聞いてもらいやすいらしい。

記憶にはこれを話した人は特に何かを信じていた訳では無いし、
筆者も無宗教であるがこの話には腑に落ちた事もあった。

神様の存在以前に、

自分の中での目標を誰かに宣言する事が

目標を意識させる手段の1つかもしれない。

新年の目標を今一度見返してそれを叶えるための計画を立ててみても良いかもしれない。

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